Voici quelques photos prises dans le catalogue.
フェルメール展で見た作品 カタログから少しだけ。
例えば、この「手紙を書く女」
机に向かって手紙を書いている途中で、ふとこちらを見ている瞬間の、明るく静謐なまなざし。

同時代のGerard ter Borch やGabriel Metsuも「手紙を書く女」を描いており、Frans van Mieris の描いた「真珠を手に取る女」とも似通っている。(これはConnect VermeerのHPからのスクリーンショットです。http://connectvermeer.org/painting.php?id=RKD_ART_NUMBER-242350

会場に入る際にもらった冊子の説明。
Vermeer’s Lady Writing reveals the artist’s admiration for Ter Borch’s Woman Writing a Letter. While adopting the subject and composition, the Delft artist changed the colour palette an lighting and painted the scene with a distincly softer handling. Moreover, Vermeer made the woman look directly at the viewer, a change that may be explained by his familiarity with Metsu’s Woman Writing a Letter. Vermeer’s painting, like Metsu’s, may be a portrait of an elegant lady in the pose of a letter-writer.
手紙のテーマでもうひとつ別の作品も。「恋文」
この作品も「手前の暗い次の間から、登場人物のいる部屋を覗き見る」という構図が、Van HoogstratenのView of an Interiorからヒントを得たもの。フェルメールは二人の女(召使いと手紙を受け取った女主人)のいる場所を光溢れる部屋として描いて、手前の暗さとのコントラストを強調。

「レースを編む女」
同じテーマでGerrit Douの作品(下)をはじめ何人かの作品があるが、フェルメールは女の手元を下からの視線でぐっとクローズアップして中央に置く構図で、部屋や衣装などを省いて描いている。(8月の村のお祭りで友だちのクレアがアイルランドの伝統的なレース作りの様子を見せてくれたので、なんだかこの絵が親しみ深く感じられました。)


現代、フェルメールがなぜ。特別な存在として認知されているんだろうね。とても美しい絵を描いたということなら他にもたくさんそうした絵描きはいたのになあと思いつつ、考えてみる。
改めて見てみるとフェルメールの絵はとびきり科学的に映る。光の扱い方に絵画によく有り勝ちな劇的な誇張がなく、画面全体に平等に光が届いた極めて自然な表現をしているよね。人物にスポットが当たったような誇張がないね。
それはどの作品にも共通していて、彼の作品を並べて見ていったときに、そこに静謐で科学的な美が感知されるということかな。光をとても民主的に扱っているとも言えるかもしれない。
フェルメールをまとめて見られたなんて、至高の体験だね。
ほんとにね 正に至高の体験 今までなんとはなしに 好きだなあーと見ていたフェルメールの作品が 少し「理解」できるようになって 一歩近づいたように感じているよ。