年の暮れ La fin de l’année, je pense à mon pays

Le 29 déc 2012 Le long du chemin, les feuilles mortes gelées…
12月29日 天気が良いと思って出かけたら、急に日が陰ってちょっと寒かった ぶるる。 でも、歩いてると身体が暖まってきて、いろんなものが目に入り ます。

12月30日 東京新聞の社説が目に入りました。以下にコピーしておきます。

「お正月はとりわけ古里が恋しい季節」 心から同感。お 正月が近づくにつれて「日本に帰ってお節が食べたい」と人並みにホームシックになっていたけど、この社説を読んで「そういうのとは意味が全然違う」と 思いました。sachanが故郷を遠く離れているのは自分で選んでしたこと。「将来がわからない不安」だって、正直 けっこう重圧に感じる。でも、被災された方々は、そこに生活があったのが壊れて、いまもまだ これからどう なるのかわからない毎日をずっと耐えておられるのだから。自分にできることは、わずかですが、忘れずに続けていきたいと、あらためて思います。

このところ、選挙の結果を見ても原発の行く末も、心配なニュースばかりです。「未定を生きている」のは被災地だけではなく、日本全部に言えることなのではないかと感じています。
被災地、避難先、そして東京の家族、友だちも・・・・皆 無事でいられる2013年になりますように。希望の年になりますようにと祈ります。http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012123002000100.html

(以下 引用)
年のおわりに考える 「未定」で生きている 東京新聞web 2012年12月30日 社説
東日本大震災から二度目の年の瀬です。復旧復興はままならず、生活再建に遠い厳冬です。被災者たちの「希望」の声に政治は応えねばなりません。
 浜辺にある巨大な白い漆喰(しっくい)壁は、山を背に、青い海に向かっています。氷点下の風が鳴り、打ち寄せる波が轟音(ごうおん)を立てます。  石巻市雄勝町(宮城)にある「希望のキャンバス」は、高さ四メートル、長さ四十メートルもあります。がれきの木材などを骨格にして、地元の土が塗られています。岐阜県の左官職人・挟土(はさど)秀平さんらが今月初めに作りました。
 <父さん 大波 小波に負けず頑張ります><じいちゃんから学んだこと(中略)生きる姿勢 継いでいきます>  きっと家族を亡くした人なのでしょう。被災者たちの思いの言葉が墨で書かれています。  
宮城県の左官業・今野等さん(45)も手伝いました。石巻市にあった自宅は、大津波に流され、母親を亡くしました。大勢の児童が犠牲になった大川小学校から約五百メートルの距離でした。  「津波の後、船を出したら、周りは遺体ばかりでした。中にはまだ生きている子どももいて、おんぶして、搬送しました」  仙台や石巻のアパートから妻と子で、同県内の家に移ったのは今年五月です。父親はまだ仮設住宅に住んでいます。  「約百四十人いた地区住民の半分は亡くなりました。仮設の人の望みは何といっても、住む所です。自立したいのに、代替地がない。何年、待ったらいいのか…。海の人たちは強く、前向きですが、今は足踏み状態です。ストレスがたまっています」
 ◆心が「難民」の状態で  
今野さんは「みんな『予定』がなくなり、『未定』になった」と言います。確かにわれわれは「予定」の世界で生きています。学校を卒業したら、結婚したら、定年を迎えたら…。将来を描き、予定を立て、日々を営んでいます。  大震災はそんな「予定」をぶち壊し、先の読めない「未定」の世界に放り込んでしまったのです。  
福島第一原発の被災者たちも同じです。原発のある福島県大熊町の人々の96%は「帰還困難区域」に家があります。  「ほとんどの人は家に帰るのは、もう無理だと思っています」と語るのは、同町でただ一人の司法書士・菅波佳子さん(42)です。各地に散りぢりになった町民の相談にのっています。  相続登記や賠償金の案件が多いそうです。不動産の所有者が誰かはっきりしないと、賠償金の支払いが受けられないからです。  「問題は今後、自分がどこに落ち着いたらいいのか、わからないことです。多くは役場機能にくっついて、会津若松(福島)やいわき(同)の仮設住宅に入っているだけです」  大熊町の役場は出張所が会津若松市、連絡事務所がいわき市にあります。でも、そこが自分の場所とは考えられないのです。  「心が『難民』の状態なのです」とも菅波さんは言いました。「自立したくとも、見つかる仕事は多くはアルバイト程度です。先が見えません。これからどう生きていっていいのか、誰もが心が定まらないのです」  原発被害の精神的損害への賠償がなされています。その五年分を一括払いし、不動産も事故前の公示価格で買い取る案があります。でも、「町民は誰も納得していない」と聞きました。  「なぜ公示価格なのか」「町ごと買い取ってほしい」などの声が上がっているそうです。根本はお金の問題ではありません。むしろ、「今までの生活に戻してほしい」という気持ちが強いのです。  原発事故の恐ろしさは、生活も環境もすべて根こそぎ壊したことです。古里を喪失した理不尽さから逃れられないまま、「仮設」という中ぶらりんの空間で暮らしています。だから、心が「難民」状態なのでしょう。  菅波さんは「私自身も心が定まりません」とこぼします。
◆浜辺に書かれた古里  雄勝町の浜辺にある漆喰壁には、こんな言葉もありました。  <ふるさと とわに>  <現在・過去・未来。いつも いつでも 故郷はここ雄勝>  お正月はとりわけ古里が恋しい季節です。でも、大震災と原発事故は、古里の風景も、「予定」も奪いました。いまだに避難者は約三十二万一千人もおり、約十一万四千人が仮設住宅で生活しています。住宅や雇用、教育…。「未定」という空白を急いで埋める政策こそ、希望につながる道です。

2 thoughts on “年の暮れ La fin de l’année, je pense à mon pays

  1. Merci Flo,
    Floは日本で年越しでフランスのホームシックにならないのかなー。
    年越し蕎麦たべたことがないって?
    でも お餅は食べるんだね・・・
    紅白に出て来る歌手の若いひとの名前は、さっちゃんも ぜんぜんわからないよー 去年 録画で見て、とても感心した・・・
    Floも良いお年をね!!!

  2. ではでは、こちらは、今夜からお節料理です!昔から31日の夜食べます~(年越しそばは、一回も食べたことない!)
    今、下でおばあちゃんがお餅を焼き始めたので、そろそろ降ります。
    つまらないけど、きっと紅白を見るんだなぁー、皆で。
    良いお年を、Sachan !

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