2024.09.17. (半日ツアーのつづきです)
冷房の効いた車が王宮の裏門(?)まで迎えに来てくれたので、ほっとして乗り込んで、へたり込みそうになっていたら。
川っぷちで降ろされて、小さな船に乗りました。
そういえば、ガイドツアーのプログラムに、そういうのが含まれていたっけ。
ガイドさんもいっしょに船に乗り込んで、出発。
川風が気持ち良い、つかのまの川くだりです。
船のおばさんがお土産を買えというので適当にちょっと買い物をしているうちに、川沿いの丘のうえにそびえる七重の塔の下に到着しました。


ここは ティエンムー寺 (Chùa Thiên Mụ 天姥寺) 1601年創建、とても立派な曹洞宗のお寺です。https://en.wikipedia.org/wiki/Thiên_Mụ_Temple
高い石段をえっちらおっちらとよじ登っていくと、国宝の鐘がありました。
1710年に造られた鐘で、人々が金でできた装飾品など大切なものを持ち寄って鋳造されたので、とても良い音がして、遠くまでその鐘の音が聴こえたそうです。
いまはもう、この鐘をつくことがなくなって残念、とガイドさんが言っていました。
境内を進むと、立派な本堂には菩薩様や大黒様がいて、日本のお寺みたいな感じでした。
清浄な気に満ちていて、王宮見学の疲れが、すうーっとひいていきました。


本堂の前も後ろも広々とした庭が広がっていて、お坊さんたちの生活や修行の場所や、信徒の集まる場所もあります。




また、南ベトナムの大統領(ケネディ大統領時代のアメリカに支持されていた)がカトリック教徒で、仏教を酷く弾圧したので、それに抗議して焼身自殺した僧侶ティック・クアン・ドックの乗って行った車が展示されています。
「ベトナム戦争に反対して焼身自殺をしたとの報道もあったが、そうではなくて仏教弾圧に抗議したのだ、報道はいつも正しく伝えるとは限らない」とガイドさん。
そのような抗議行動をこれからすることを仲間の僧侶たちは知っていたので、大勢が現場に集まって、僧侶が坐禅を組んだ姿のままガソリンをかぶって燃え上がったとき、周りを取り囲んで火が消されないように守りながら、お経を唱えていたそうです。
結局 ゴ・ディン・ジエム大統領はその後にクーデターで殺害されてしまったのでした。
庭に大きな木々がいっぱい。
大きな実をつけているのはパンの木。
花をつけた木は「沙羅双樹だ」とガイドさんが言っていましたが、諸説あり。。。
成長の早い大きな木だそうです。
変わった形の美しく珍しい植物で、こんな木々や花に出逢えて良かった!と、印象に残りました。



やはりお釈迦様にご縁の深い木なのですね。お庭の両側に、何本も大きな木が植えられて花をつけていました。
お寺の奥にも立派な建物があったのですが、ベトナム戦争中にベトコンをかくまって、たくさんの人が滞在して煮炊きをしたので、その煙でアメリカ軍の知るところとなって爆撃されて失われてしまったそうです。小さな蓮の池がありました。


このように、激しく辛い歴史にもかかわりのあるお寺でしたが、境内は穏やかで、心洗われるような場所でした。
裏門を出て坂を下ると、鮮やかな色のブーゲンビリアの花が頭の上にたくさん咲いていました。


フエのガイドさんは、インテリでした。
日本語もかなり上手で、以前には日本語の先生をしていて、国際交流基金日本語国際センターの研修に行ったこともあると話していました。
炎天下のもと、淡々と歩いてまわってくれるポイントごとに、ちらりと彼自身の考えがあらわれて、通り一遍ではないコメントが聞けました。
枯葉剤や中国の農薬の問題、たくさん奇形児が生まれてしまっているということもしかり。
また、日本からの技術援助のありかたなど、ヨーロッパ諸国からの技術援助と比べて、ベトナム現地の不正を働く(賄賂や横流しなど)ケースに目をつぶる傾向があって困ったことだ といったような辛口のコメントも。
そのうえ、今のベトナムでは教育機関でも賄賂が横行して、子どもに良い教育を受けさせたければ、どうしてもお金を使わないといけないのだ、という悩みもあるそうです。
あまりにも学校の賄賂横行が酷いので我慢できずに教師をやめて、日本企業の翻訳の仕事やガイドなどを仕事としているそうです。
カンボジアでも、フランス植民地時代には過酷な「放置政策」に人々が苦しんだということを、石澤先生のお話で伺っていましたが、ベトナムでもフランス植民地時代の圧政、それに続くベトナム戦争と辛い歴史をふまえての今。(石澤先生のお話はこちらから)
まだまだベトナムの人たちはいろいろな問題のあるなかで必死に生きているのだということを漏れ聞くことができた体験でした。
美しいホテルに泊まって、うっとりしている私たちに、それでも一生懸命に話をしてくれた誠意が、ひしひしと伝わりました。