7月11日(土)上智大学グローバルコンサーン研究所主催ウェビナー
パンデミックと社会の分断
視聴しながらとったメモを記録してみます。
一部ですが島薗先生と稲葉先生のパワーポイントを写真に撮らせていただきました。
なお アイルランドのsachanからの以下のような質問を送って取り上げていただきました。
3月末からアイルランドでは医療専門家のトップが毎日会見をして感染の数字や国としての対処の意味を説明しています。
コロナウイルスとの闘いにおいて国民レベルで確かな情報を共有することが基本だとの考えがあると思います。
日本では公的な立場にある人々による国民へのコミュニケーションが絶望的であるように見受けられますが、今後へ向けて希望が持てるとすれば、どのような方法があるとお考えでしょうか。
アイルランドから日本のコロナ禍に関する報道を見ていて、断片的になってしまうので、総合的に状況をつかんでおられる先生方の話が聞けて、非常に有意義でした。特に後半で、若いひとへ向けてのメッセージ そして辛い立場にある人たちへの目線に深く共感しました。
YouTubeでも視聴できます。
新型コロナウィルスの感染拡大と防疫対策は、「国民国家」や「グローバル経済」のなかで弱い立場におかれる人々を直撃した。新自由主義的グローバル経済の拡張が、パンデミックを引き起こしやすい土壌を形成するとともに国家能力の深刻な弱体化をひき起こした結果、困窮する人々やエッセンシャル・ワーカーの感染リスクを高めたのである。さらには感染拡大の阻止と生活保障の舵取りを行なう際に、政府が「救う価値のある人」の境界線を一方的に定め、排外的なアイデンティティの政治的動員を図ることが、社会の分断をいっそう悪化させている。これらは日本の問題であり、グローバルな問題である。
グローバル・コンサーン研究所では、パンデミックの最中にある私たちが「今」を考える緊急企画を続けてきたが、今回は社会の分断を注視する観点から問題を掘り下げ、コロナ禍から見えてくる新しいビジョンについて、上智大学の異なる専門分野の研究者による鼎談を企画する。
宗教学者の島薗進は、人文学的なケアの視点から、災害や感染症に関する専門家の役割とその政治性について、鋭い論評を展開している。社会学者の稲葉奈々子は移民研究を通じて、日本社会において移民や難民がいかに排斥されてきたかをつぶさに観察し、警鐘を鳴らしてきた。政治学者の中野晃一は、日本政府の新型コロナウィルス対策の不手際の背景にある、市民から乖離するメディアと政権のありようを批判してきた。3つの視点を重ね合わせることで、問題の本質を掘り下げ、新しい社会ビジョンへと転換するために、私たちが何をすべきかを問うていく。
スピーカー
島薗進 宗教学者
稲葉奈々子 社会学者
中野晃一 政治学者

ーー(以下 メモです)
まず中野先生から今日の話のイントロダクションとしてグローバルな世界にあって、グローバルだからこそ起こったパンデミックであるが、その危機的な状況への対応は、国民国家単位に任されている。国家間の差異が明らかになっている。救う価値のある人ーない人という選別が生まれ、またコミュニケーションの問題が生じている。専門知のある人たちのコミュニケーションが必ずしもうまく機能しているとは言えない状況がある。市民による「帰国者のレッテル貼り」が行われ、「排外主義が起きかねない状況がある。差別を乗り越えようとする社会へ向けて、どのように考えていけばよいのか。
島薗先生
三浦麻子教授(阪大)の研究が興味深い。日本では「感染を自業自得である」と考える人の割合が、中国イタリア英米に比べて高いという結果が述べられた(スライド)。しかし、このような差別はイラク、インド、アジアの諸国でも見られる。村八分差別に宗教が加担するといったことが生じている。ヨーロッパでも黄色人種への排他的な差別があった。日本国内では、「東京ナンバーの車は帰れ」というように、「東京の人が差別の対象」になる。
「自粛」という方法が問題。「悪者探し」「夜の街」というラベルづけで「あそこにクラスターがある」といった言説がある。クラスターをつぶせば全てOKとする専門家会議や国立感染研究所の立場が、このような風潮を助長する。
専門家も政府も責任をとらない日本。世界的にみても検査の広がりが遅れている日本。
震災津波、原発被害、水俣病と、いろいろの危機への日本国民の反応を見てくると、震災津波の被害に関しては連帯や共感が広がったのに、コロナ禍では連帯共感になかなかつながらない。原発被害のときのような分断の方向へと向かうのではないかと懸念される。
中野先生専門家も政府も責任をとらない日本。>「安倍のマスク」は「自己責任」でなんとかしろという政府の「責任放棄」の象徴である。



稲葉先生
日本に永住権があり、生活の拠点がある外国人が日本に帰国できないということが起こっている。3月はじめに入国制限をした対象国は中国韓国であり、ヨーロッパや米国に対しては3月末であった。状況を見れば 韓国よりもヨーロッパのほうがコロナ被害が広がっていた時期であるにもかかわらず、このような対策が選ばれるのは差別意識のあらわれである。
専門家(クラスター対策班の西浦教授)でさえも差別を助長する発言をしている。「外国人から病院や夜の街へうつり、一般市民に少しずつ忍び寄っています。でも、まだみなさん一般の人に広がっているわけではないです」しかし、それがマスメデイアで問題視され取り上げられるということもない。
外食産業やアパレル産業を末端で支えるのはベトナムや中国からの技能実習生であるが、下請け解雇にあい、契約終了前に解雇 帰国することもできずに、その日の食にも困るという状況がある。特別給付金の対象からも排除されている。公的支援にアクセスできない、窓口の無理解で申請させてもらえない、フィリピン、日系ペルー人(日系ブラジル人にくらべて、さらに厳しい状況)、トルコ人(ほとんどがクルド人)など。
市民レベルで支援活動が行われているが不十分である。協力をお願いしたい。




ーー専門知をどう伝えるのかという問題をめぐってのデイスカッション
中野先生 専門家会議を早々と廃止してしまい、新たに分科会ができるという状況にある。分科会というものは、いわゆる「有識者会議」のような「お飾り」に過ぎないのか?専門家の役割はこれで良いのか。
「どうしてこんなに検査が行われないのか?」という状況について、どうしてそうだったのかという説明がない。
SARSやMARSの経験を踏まえて、台湾や韓国では体制づくりをしてきたが、日本では過去の経験を生かすことができていない。
新自由主義的な政策で、保健所の機能を縮少してしまった。専門家たちば、そのような政策に物言うことができずに「伴走」している。検査が増えないこと、政府の拙い対応、パフォーマンスの悪い状態、実情をしっかりと把握できない状態が続いている。
どういう対策をとれば良いのかをデータを踏まえて決定する、しっかりした責任を誰もとっていない。
「一般の人」VS「感染した人」「夜の街」のような対立項で、偏見をあおることで対策としている状態。見せしめ、「自業自得」
ーー情報共有のしかたをめぐって
中野先生 科学の非科学的利用が横行している。学会によっては、しかるべき時期に専門知を集めて、声明を出すなど発信をしているところもある。
島薗先生 今のような状況にあっては、科学技術の知識が生活に影響を与えるから、それを公共の討議へと持っていかなければならない。市民の生活と結びつけるように、人文科学者も発言していかなければならない。また科学分野の人も、社会リテラシーを持たなければならない。
ともすれば専門家の発言がタコツボ化してしまうが、情報は多様であることがあたりまえであり、わからないことはわからないと、はっきり述べること、また、わかる情報は共有し議論を深めることが必要なのに、深まらないきらいがある。
コロナ禍において、被害をこうむる側に近い立場の人たちの声が聞こえてくる。それを整理して、公共対策を進める人とのあいだ距離がある。
ーー
島薗先生 コロナで亡くなった方の姿が意外なほど見えてこない。死生観、病気や死に対する見方にどのような影響があるのだろうか。>現場にある方々が遠慮しているということがあるだろう。だから話が出てこない。それは十分に理解できる。ジョージ・フロイドはコロナでなく暴力によって死んだが、同じ時期にコロナで苦しんでいる人たちの共感と連帯、悲しみと怒りが広がった。差別に対する悲しみと怒り これは重要なことだ。日本でも医療従事者や介護施設でコロナ死されたがいても外に出てこない。辛い立場で亡くなった人たちに対して、現場を責めるのではなく、苦しみと連帯をつくること、声をあげられるよう応援していかなければならない。
中野先生 ステイグマをどうやって撥ね退けていくのか。
稲葉先生 政策が新自由主義的であるからといって、社会や人々の考えの中まで新自由主義的になる必要はないのであって、自分たちのために国家とはなんのためにあるのかと考えていかないといけない。これだけ税金を払っているのだから。
ーー最後に若い人たちへのメッセージを。
島薗先生
この大切な時間をキャンパスへも入れない状態で過ごさなければならない若い人たち横の連携がとりにくいだろう。しかし、ある意味 普段見えないことがいろいろ見えてくる、学びの時間であると捉えることができる。横のつながりをつくってください。いろいろな状況にある、いろいろな人がいるのだと知り、寛容さをもって、困難がプラスになることを知って欲しい。
稲葉先生
これまでわたしたちの消費行動のなかで、たとえば外食をするということは「人とのコミュニケーションをするために、お金を払って外食をする」ということだった。わたしたちの今までの行動の何が重要であって、それはどんな機能を果たしていたのかということを、いまいちど問い直すことが必要だ。
中野先生
社会や経済のゆがみが先鋭化して見える、このような状況にあって、より良い社会を作らないといけない。まずは生き延びて、よりましな社会をつくるために、社会へ開かれた研究、情報を発信してやっていこう。
本日は100名以上の視聴者があった。また今後もこのような催しをやっていくので参加してほしい。