le 6 février. Avant de repartir je suis allée dans l’église St Etienne du Mont… et j’ai pu voir des vitraux du début de 17ème siècle. Fabuleux!!
2月6日 帰る日の朝は、ホテルの近くのSaint Etienne du Montの教会へ お詣りに行きました。
空港へ向かうタクシーを呼んであったので、その時間までのほんの30分ほどの隙間時間でしたが… アイルランドの友だちはいつも、
「訪問先へ行ったら、その土地の教会にご挨拶に行かないとね」
というのです。
そんなわけで、パンテオンの向かい側 にある、この教会へ。

これが Saint Etienne du Mont。
右のほうに見える塔も、昔は聖ジュヌヴィエーブの修道院と教会があった名残なのだそうです。つまりSte GenevièveとStEtienne du Montとふたつの教会がくっついてあったのだけど、ある段階でSte Genevieveは壊されてなくなってしまい、塔だけが残っているのだそうな。
今は、写真右の端に写っている塔のある建物は、Lycée Henri IV という高校になっています。
まんなかに道が通っていて、この手前のところの右側にパンテオンが どっかーんとでっかくそびえています。


パンテオンもはじめは教会のつもりだったのだけどフランス大革命で政教分離になったので、偉い人を祀るところにしたそうです。パンテオンは、教会みたいな立派な建物ですが教会ではありません。


右の部分がSainte Geneviève。今はここに道が通っており、道を隔てて Lycée Henri 4 があって、塔だけが残っている。

奥まった廊下のドアを開けて、さらに奥へ入ったところに、17世紀の初めのものという、一連の古ーいステンドグラスがあるのを発見。
たまたま そのまわりのところをお掃除しておられた方とお話ししました。
(たぶん、あの口調は修道女さんだったと思われます、このごろはシスターの服を着ておられない方が多いので、いまいち確信が持てませんが)
Saint Etienne du Montという「山」は ジュヌヴィエーブさまの「山」。
セーヌ川から登り道で ここらが小高い丘になっているところ。
パリの守護聖人 つまりフランスの守護聖人 おおおー 勉強してしまいました。
30分たらず歩いてきて、鍵を返すとき、
「St Etienne du Montに行ってきましたよ」とホテルのフロントのマダムに言ったら、
「おおおーそれは良かった!あそこはパリの守護聖人、ひいては世界じゅうを守ってくださる聖人が祀られているのだから、良いことをなさいましたね!」
と、輝く笑顔。
なるほどー このマダムったら「パリの中心=世界の中心」と思ってるわけなのね?
… と、ちょっと可笑しかったけど(中華思想www)
それでも大満足なパリ滞在がこんなふうに心静かに締めくくりをできて、とても幸せでした。
何か導かれたような、つかのまの朝の時間でした。
17世紀初頭のもの。
上がノアの箱船で 下は 十字架に支えられイエズスキリストに導かれて航海する 教会の船 聖霊の鳩もいます。


