2月6日 アンリ・カルティエ=ブレッソン財団 Fondation Cartier-Bressonへ。
写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン Henri Cartier-Bressonが 1948年11月末にアメリカのLIFE誌の依頼を受けて、国民党末期の中国へ(毛沢東の率いる)共産軍の到着する直前の北京の最後の日々を取材に行きました。
当初は2週間の予定が、混乱で帰れなくなって長期滞在するはめになり、共産党中国がはじまるまでの、ごく初期の様子を記録した写真をたくさん撮影することになりました。北京、南京、杭州、上海など各地で、まだ伝統的な生活の残っていた様子と時代が展開していくさまを、人々の生活に密着して伝えた写真群。
フォトジャーナリスムの新しい時代を切り拓いた、記念すべき出来事となりました。
そして10年後、共産中国の「大躍進」の時代を取材に、再び中国へ。
1958年、4ヶ月に渡って、共産党のガイドによる取材制限を受けながらも、数千kmを踏破して人々の表情や地方で強制的に進められる大規模な工業化の様子などを伝えたのでした。
歴史的転換期の渦のなかで暮らすひとたちの表情が生き生きとして 圧巻。
昔ながらの暮らしをしていた人たちの残像。
50年代、人海作戦の労働に従事する若い人たち。
駅のホームで子どもにご飯を食べさせる母親。
目に焼きつく写真がいっぱいでした。見られてほんとうによかった。
Henri Cartier-Bresson
Chine, 1948-1949 | 1958
du 15 octobre 2019 au 9 février 2020
昔 日本で学校時代に歴史の授業で習った40年代のことといえば、日本が軍国主義化して中国へ出兵。しかし45年の日本の敗戦後に中国がどうなったかということについては、ほとんど触れられなかった。
後に本田勝一氏の著書で南京虐殺のことを、ユン・チアンの自伝小説「ワイルドスワン」で紅衛兵となって下放された世代の過酷な体験を読んだことがあったぐらいです。
<小島晋治・丸山松幸『中国近現代史』岩波新書、横山宏章『中華民国』中公新書 p.286-291 などによる> https://www.y-history.net/appendix/wh1601-083.html
国共内戦は、日中戦争終結後の中国で1946年6月に始まった国民党と共産党の内戦。
人民解放軍は、国民政府の首都南京に4月24日に入城、国民党首脳は広州、さらに重慶に逃れて抵抗したが、12月までにほぼ国民党軍を降伏させた。
毛沢東は49年10月1日、北京で中華人民共和国の成立を宣言。国民政府要人は台湾に逃れ、蔣介石は50年3月1日台北で総統に復帰し中華民国を存続させた。
アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真は、第2次国共内戦の最後の最後、共産党の人民解放軍が国民党を南京へ追い詰めたタイミング。そして、50年代の中国。黒白の写真のなかの人たち、ひとりひとりが、その後はどういう暮らしをしたのだろうか。
思わず、そういう感想を持ってしまうほど、身近に迫ってきました。

Gold Rush. En fin de journée, bousculades devant une banque pour acheter de l’or. Derniers jours du Kuomintang, Shanghai, 23 décembre 1948.

紫禁城(故宮)の近くにて、花嫁を輿に乗せて送り迎えすることを仕事にしている男
北京 1948年12月
#un simple d’espritを仏和辞書を見たら「愚鈍な人」とされているけれども、どう訳したらよいかと考え中。




Nankin, 24 avril 1949
手描きのポスターは共産党の拳が国民党の犬を排除するところを描いている。
1949年4月24日 南京

北京 1948年12月。

Beijingm juillet 1958
母親も学校へ行かなければならないと説明しているポスターの前を通る子どもたち
1958年 北京

列車の停車中にホームで廉価な食事。北京–瀋陽間にて、1958年7月

アンリ・カルティエ=ブレッソン財団 Fondation Cartier-Bressonへ行ったのは、初めてでしたが、こじんまりと無機質な空間にインパクトある写真が映えて素晴らしかった。
外側のウインドーにも、こんな展示が。
このトランクは世界一周をした揚句に、最後はパリのゴミ箱に捨てられていました。アンリ・カルティエ=ブレッソン財団のことをよく知っている人が通りがかりに見つけて、拾ってきてくれたものです。おそらくHCBが1947年にアジアへ長い旅をしたときに使ったものだろうと思われます。(後略)
Cette valise a fait le tour du monde pour terminer dans une poubelle à Paris.
Un passant habitué de la Fondation HCB l’a trouvée et ramenée. Elle est sans doute celle avec laqeulle Henri Cartier-Bresson a entamé un long périple en Asie en 1947.
HCB était accompagné de son épouse Ratna Mohini, danseuse indonésienne de la ‘bonne société’, et avait prévu de se rendre d’abord en Inde, puis en Indonésie comme l’indique la destination de Jakarta, inscrite sur la valise.
Grand lecteur, il voyageait toujours avec beaucoup de livres et de matériel, d’ou le format imposant.


