ロベさん追悼 RIP Père Roberge

Ahhhhhh la jeunesse… we were 19 or 20 years old…
70年代に恩師ロベルジュ神父さんにヨーロッパ大旅行へ連れて行っていただいたときの76クラスの面々
なんて若かったのでしょう。
12月1日 この数日は学科同窓会の次の会報のロベさん追悼号のため卒業生からのメッセージを集めて会報編集担当の先輩にお送りしました。
過去を振り返ると今の幸せのある有り難さ大切さがずっしりと胸に響きます。
帰天された恩師や友だちや仕事仲間や家族。たくさんのご縁に支えられてあることに心から感謝。
父のようなロベさんだったので、8月に亡くなったと聞いたときはアイルランドにいて辛くて、親を喪うことはこんな感じか、と思ったことでした。
ずっと仙人みたいにいてくださるという気がしていたけれども。
そんなわけで、同窓会報のお手伝いをしたり、また同期のOくんの編集する「言語の世界」に追悼記事を書かせてもらったり、いくつかのことを通して、12月までかかって、やっと落ち着いてとらえられるようになってきた。

大学2年のときだったかなー?

歳を重ねても、やはり「がたがた」してしまうものですね。
同窓会報のお手伝いで、写真をたくさん集めました。
先輩が持っておられた白黒写真の、若いロベさん。うわー わたしたちが入学したときは、もうお爺ちゃんみたいな風貌になっていたので、この若い顔は新鮮。

それでも、やっぱりいちばん気に入っているのは、この2枚です。

2015年1月撮影。雪の降る寒い日に、ロヨラハウスをお訪ねして、石神井の坂道で車が滑ってちょっとドキドキしました。

楽しくお話しした思い出。
にこにこ顔のロベさん。
雪の日の吉祥寺。

8月10日記。 RIP Father Claude Roberge SJ, my beloved professor. I’ve met him when I was 17 (still high school student) and since then so many years of lovely memories. He was like my adoptive father.
恩師のロベルジュ神父さんの訃報にとても悲しくて、今朝はたくさんの思い出がどっと押し寄せてきました。お葬儀に伺えないのが辛い。
元気で笑っている写真を探しました。
まだ高校生だった頃、学校の廊下でロベさんと仲良しだったカナダ人のシスターポルリエ先生に紹介されて初めてお目にかかったときのこと。大学に入学して毎回の授業にドキドキして声を出してフランス語が話せずに悩んでいた頃のこと(7号館の研究室がパイプの煙で臭かった)。
ロベ旅行でヨーロッパ大旅行に引率してくださったのは良いけどイタリアからギリシャへ渡るとき客室がなくて甲板で一晩明かしたこと。フランスへ留学するとき「あそこの街は牛がいるし川が流れているからキット気に入るにちがいない」と訳のわからない励まし方をしてくださったこと。聴覚障害のリハビリの仕事を専門にして後を継いでやってくれと言われたけど「イヤです私は言語教育がやりたい」と喧嘩してしまったこと。
後に同僚になってロベさんが会議でよく脱線しちゃって私がPassons! 「はい次の議題」とブチキレそうになると「むふふ」と笑っておられたこと。
神戸の震災の翌日に連れ合いの安否がわからず現地へ向かうとき大学の研究室でTu feras face à la réalité.「君はこれから現実に向き合うだろう」と一言だけ言って送り出してくださったときの優しい厳しさ。
そうですね、人生は悲しいことも受け容れたくないこともあるけれども、向き合っていかなければならない。しかしあのときのtu feras face à la réalitéにはきっと「君ならできる、神様が見ていてくれる、自分も祈っているから行ってこい」という意味を言っておられたのだろうと勝手に解釈しています。
フランス語でしゃべることコミュニケーションする楽しさを教えてくださったロベさんとの出会いがなかったら、私の人生は全く違ったものになっていた。
今はもう天国へ到着されたことでしょう。また会う日まで。ロベさんありがとう。


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