ヘンリエッタストリート14番地 14 Henrietta Street

8月21日にクロークパークへ行ったとき、そのあと見学に行ったのは、「ヘンリエッタストリート14番地」の建物でした。
(少し時間があいてしまったけれども、とても重要な場所だと思うので、記録として書いておきます)
ここはわりと最近オープンした「博物館」Tenement Museum。
https://14henriettastreet.ie/
物を展示して見せるというよりは、人々の生活の場であった建物そのものを保存して、特に19世紀末から20世紀後半までの時代にダブリンの共同住宅に住んだ人たちの生活の様子を伝えようとするものです。
‘tenement’ということばを調べてみると、「大都市にある安いアパート、長屋」。
長屋!!テレビドラマや時代小説に出てくる、江戸時代の長屋の様子が目に浮かぶようなことばですね!
共同の廁。がたぴし、建てつけの悪い扉、狭すぎて親子みんなが折り重なっている部屋、毛羽立った畳。
当たらずといえども遠からず。

( la suite de Mercredi 21 août. )
Après avoir marché sur le toit du stade Croak Park, on a traversé tout un quartier à pied pour aller visiter un autre endroit : le nouveau musée qui vient d’ouvrir ses portes, Tenement Museum, 14 Henrietta Street à Dublin.
Je ne sais pas comment traduire ´tenement’ en français. Dans le dépliant version française du musée, ils ont marqué ‘l’immeuble de rapport’.
En effet, ce grand bâtiment au no 14 de la rue – construit dans les année 1700 – était au départ une résidence occupée par des bourgeois anglais jusqu’à la première moitié du 19ème siècle.
Ensuite après la Grande Famine qui a frappé le pays au milieu de 19ème siècle, la classe bourgeoise anglaise étant partie regagner leur pays d’origine, ces bâtiments se sont trouvés vacants. Et ces spacieuses salles et chambres ont été transformées en une multitude de petits appartements destinés à loger les pauvres. Et ça a servi jusqu’aux années 70.
Jusqu’à 17 familles ont habité dans ce seul bâtiment. Dans le 19 bâtiments du même genre dans la rue, résidaient plus de 1000 habitants.
A la fin du 19ème siècle, presque un sixième de la population de Dublin vivait dans des logements collectifs.
Une visite guidée ultra intéressante de l’endroit, des vies des gens qui y ont vécu (dans la misère) et leurs histoires.

Les habitants bourgeois du 18ème siècle 始めの頃の住民たち。

 

「ヘンリエッタストリート14番地」は、はじめに建設された17世紀半ばにはイギリスのブルジョア階級の家族、つまりアイルランドをその頃支配していた人たちが、冬のあいだ住んでいたお屋敷でした。(夏のあいだは田舎のほうの領地の別邸に住んでいるけど寒いあいだはダブリンで社交生活もあるしね)
しかし19世紀半ばの大飢饉で田舎からダブリンへ貧しい人たちが流れ込んできて、ダブリンは極度の住宅不足になったので、この建物もそういう人たちの住まいとして貸すために、1870年ごろに改造されたそうです。
(大飢饉の頃には地主階級は多くの者がイギリスへ帰って、お屋敷も空き家になったところが多かったこともある。)
以前は悠々たる1家族が住んでいて、きれいな居間だったり、ベッドルームだったりした部屋の、それぞれを細かく分けてアパートのようにして、人を詰め込んだのでした。
最後に入り口の大きな階段のところへ戻ってきたときに、「この階段ホールも床をつけて住まいにしていた」と聞いて、ビックリ。
どれだけつめこんでいたのかな。。。
この建物だけでも、17家族=百人以上が住んでいて、極度の貧困と非衛生な状態のなかスラムと化していたそうです。

1911年当時、ヘンリエッタストリート全体で19の建物がこのような住宅に改造されていて、千人以上が住んでいたと。
そして1970年代までこうした住宅に住んでいる人たちがいて、助け合って暮らしていた。
説明しながら見せてくれたガイドさんは、おそらく40代前半ぐらいの女性でしたが、彼女のおばあちゃんも、このような場所で生まれ育ったそうです。
「一般の人たち、特に貧困層の暮らしの実態は大きな歴史の動きのなかでは語られることが少ない。
こういう建物を保存して博物館にして見せることに意義があるのだ」と説明していました。
子どもの死亡率が高かった


博物館のホームページを見ると、この14番地と隣の13番地の建物の保存計画が始まったのは2006年。
10年の歳月を経て今のような博物館の形でオープンしたと。

14 Henrietta Street aims to:
Collect the history of the house and its occupants
Educate Dubliners and visitors about the history of the city through the prism of tenement living, and
Celebrate the strong community ethos evident in Dublin’s tenements.

19世紀の大飢饉Great Famineでは生き延びるために国外へと脱出した人が多く、アイルランドは21世紀に入った時点でも人口は飢饉前の水準に達しないというほどの大打撃を受けました。重要な歴史のターニングポイントだったことを忘れてはいけないということが、社会全体に浸透しています。
このヘンリエッタストリート14番地の博物館がつきつけてくるものは、国外へ行かずにダブリンのスラムで生きた人たちの現実です。
少し前に EPIC 移民のことを展示している博物館にも行ったので(そのときの話はここをクリック)、両方の情報が補い合って、符合した感じです。

家族の居間
服も皆、自分で縫っていたね そういえば日本でも、ジーンズとかTシャツとか既製服が出てくる前は、家で服を縫ってもらったものだ。


しかし、この最後のところで見せられた、いちばん最近の50年代から70年代にかけての暮らしは。

1960-70年ごろの キッチン

bjmの叔母さんであるローズさんがマンチェスタのウィジンショー地区で晩年に住んでいた公団住宅のアパートメント(フラットと呼んでいた)に何か通じるものがある。
飾られていた小さな坊やの写真は、bjmの小さいときの写真にそっくり。

要するに、国外へ移民したカトリックのアイルランド系住民も、マンチェスタの街の片隅で、同じような生活をしていたのだ。
エスタブリッシュメントのイギリス人上流中流階級とは隔絶した暮らしのなかで、懸命に労働して、信仰をもって、折り重なって助け合って、生き抜いてきたのだ。

マンチェスタの家族のなかの話から、少しだけ残っている写真から想像していた暮らしの様子を、この博物館の家具や生活の様子を再現した部屋で、かたちにして見せてもらったような感じを持ちました。
おばちゃん友だちは、キッチンの様子とか、置いてあるいろいろな品物とかを見て
「そうそう、こういうの、あったわよねー」
と懐かしんでいたけど、ね。
キッチンから居間へ入る入り口にある 聖水入れ。どこの家でもここに教会からもらってきた聖水を入れて十字を切っていた。「この家をお祝しください」Bless this Home

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