まけないぞう ずっと続けるぞう Cornac Makenaizô à vie

15 sept, rainy Sunday morning …(by the time I finished writing the japanese version below, it’s sunshiny and blue sky… yet cold and windy!)
What I’ve been thinking this week, about the situation in Japan, ‘Olympic Game 2020 in Tokyo’ thing? I find the whole thing kind of depressing, to say the least. This japanese prime minister lied to the entire world that Fukushima is ‘under control’, ‘Tokyo will be safe’ as if 250km a part, that was 2 different rooms in a building and you put all your ‘not to be seen’ things in the other room and sitting and smiling in your front room? … Well NO I don’t agree at all with it and I will never do.  Olympic itself can be sympathetic event, I am in favor R0023904to promote sporting … but in this case, all the budget and effort spent for the event will be somewhere else than the areas which really need money, effort and attention and used to hide all the problems they would like people to… forget. And this is my country, this?  … Now people think ‘Olympic Game will attract everybody’s attention on Fukushima situation and the government will have to be more careful how to deal with… perhaps… perhaps not… we will find out.
Working for Makenaizô Elephants since May 2011, I follow very closely all the news about ‘Makenaizo Makers’, through Kobe founded voluntary workers, especially Ms Tomoko Masujima who goes around these people who still suffer from their loss after 2 years and 6 month. I read japanese and other newspapers but I tend to pay more attention to personal, direct info about individual people and micro situation, as I know by experience how long it takes to recover from beloved one’s death and this kind of major devastation. And yes, people in general in Japan, but also in the world, continue to send positive messages to support suffering Japan, this is the side I try to relay and stress, communicating constantly with my real and virtual friends. There is, however, the other side of reality: people forget about the devastation, they prefer to forget about sadness, poverty, sickness, desperation.
I don’t like talking about political things in general. All I can do and tell you is that on this 11th September, 2 years and 6 month after earthquake 0311, I am more than ever deeply motivated about my role of communicator- promotor about Makenaizô Elephants. Thinking of all those who lost their life, all those who are still fighting, who can’t see the hope yet.  Never forget, never abandon. I will continue to talk about Makenaizô elephants. ‘Cornac à vie’ I am… ‘Elephant Ambassador for life’.  Makenaizô!!

2020年オリンピックの東京招致が決まったとのニュース、それからフランスの新聞カナールアンシェネが風刺画を出したり、何かと騒がしい1週間でした。このブログは基本「おもしろいこと、美味しいこと、楽しいこと、美しいもの」しか出さないと決めているし、facebookのウオールでもだいたい同じように考えて発信しているのです。そりゃ、たまに「夫婦喧嘩しちゃってアタマにきたよお〜」なんてのも、ありますけどね。。。ただ、今回のこの「もやもや」はちょっとね。いろいろ考えてしまいました。それで、家でもbjmと話したり、facebookのウオールでも少し意見のようなことを書いてみたりしたら、いろいろなコメントをいただくことができて、とてもよかったと思います。

このニュースをきいて、個人的には素直にお祭り気分で「東京オリンピックだ〜!」と喜べませんでした。それは、被災地のまけないぞうの作り手さんのことが念頭を離れないからです。いったい、東京に招致するのに、どれだけのお金が動いたのだろうか。これからハコモノにどれだけのお金を使うのだろうか。原発の問題も、仮設住宅や復興住宅に住んでおられて震災から2年半を経過した今も、先の見えない不安に毎日さいなまれ続けておられる方々がたくさんいらっしゃるということを、どうするつもりなのだろうか。自主避難で二重生活をしておられる方々、放射能汚染の恐ろしさにさらされながら、それでも忍耐で毎日を生きておられる方々のことを、世界に向かってウソをついて平気でいられる政治家はどう思っているのだろうか。まけないぞうの売れ行きが思わしくない状況のなか、ボランテイアの方々が奔走しておられる。日本の各地を次々に襲う災害、次の大地震が来たら福1はどうなるのだろうか。・・・ そういう、いろいろな思いが、どんどん渦を巻いて止まらなくなりました。
「東京は福島から250キロも離れているから安全」という発言に傲慢さを感じた、とのコメントをいただいて、「そうか、この何ともいえない不快感のもやもやは、困った問題をないことにして切り捨てて進んで行くんだというやりかたを、目の当たりに見せられたからなのか」と思いました。授業についてこれない学生は、もう来なくてもいいよ、という教師みたいだね!ぷんぷん。そういうの、大嫌いなんだよね。
95年の震災で、当時の連れ合いだった最愛の中川のおっちゃんが亡くなったとき、「大学教授のくせに、あんな文化住宅に住んでいたから死んだのだ」ということを言われたひとがあると聞きました。「もっと安全な地域の、しっかりした建物に住んでいれば死なないで済んだのかもしれないのに」。同じ地区でもつぶれた家もあれば、つぶれずにすんだ家もありました。そんなことを言ってみても、亡くなった人は戻って来ませんよね。
災害で生き死にを分けるのは、偶然なのかもしれないし、もともとの備えがある、なしの差があらわれるのかもしれない。備えがあっても犠牲になってしまった方々、思ってもみなかったことに途方にくれて今でも苦しんでおられる方々が、どれだけおられることでしょう。ひとごとではありません。忘却と、傲慢と、分断と、差別にもへこたれない。それが「まけないぞう」の応援なのだなと思います。
大学で働いていたときの教え子だった、若いひとたちからも、忌憚のない意見をもらって、とてもうれしかったです。「聞こえのいい安易な言葉に乗せられて何も考えない人間にだけはならないようにしようと今回また強く感じた、自分の脳と感性で判断できる人になることが今生きている人間の責任だと思っています」、「都民として、オリンピック開催までには、良心を伝えられるような形にしていきたい」というコメントに力強さを感じました。「こんな優しい目をしたぞうさんの様に強く生きて欲しい」、「くじけないゾウ(^_^)」、「まけないぞう」と日本の、世界のいろいろなところの友だちから、共感のメッセージが届きました。まけないぞうの応援仲間が、今日も「まけないぞう」のお引っ越しのニュースを伝えてくれました。
わたしのできることは、ほんとうに限られています。日本から離れたところにいるので心配でたまりません。お金もあまりありませんが時間だけはたっぷりあるぞう! できることを、こつこつやっていこうと思います。

アイルランドに引っ越して来て、初めて出逢う方達にかならず話すのは「まけないぞう」のことです。引っ越して2ヶ月。もう、こちらの村では「Sachikoはぞう大使だね」と言われています。フランス語では Cornac 「ぞう使い」ですって。Cornac à vie。生きているかぎり、ぞう使い。作り手さんの最後のおひとりが卒業されるまで。長く細く続けます。am0717

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