ダブリンの中央郵便局 GPO à Dublin, un peu d’histoire…

これがダブリンの中央郵便局 1916年「イースター蜂起」の記憶をとどめる重要な場所なのだそうです。
General Post Office (GPO) à Dublin.

Sur le quai de la Liffey.
リフィー川沿いに歩くと カモメがいっぱい。

Mardi dans la matinée, nous sommes partis nous promener et on a longé le quai de la rivière Liffey. Au fait le centre ville de Dublin est vraiment pas très grand et c’et tout à fait pratiquable à pied. Il y a aussi des lignes de tram et des bus, mais on a circulé à pied ce coup-ci, notre ‘appartment hotel’ étant très bien situé, juste à côté du quartier ‘Temple Bar’.
Donc voilà, nous sommes descendus vers la rivière, on est allés faire un peu de shopping Henry Street de l’autre côté, exploré le quartier … et puis on est entré dans le bâtiment de la Poste Centrale ‘ General Post Office’, O’Connell Street. C’est un endroit historiquement très important, symbole de l’insurrection de Pâques 1916, un premier essai de révolte contre la colonisation britannique – échec sanglant qui est resté gravé dans la mémoire collective irlandaise – et qui a été donc à l’origine d’un long processus, par la suite, de la lutte pour l’indépendance du pays.
J’étais totalement ignorante de l’histoire, de la tradition, de la géographie ou même de la particularité linguistique de ce pays jusque là, c’est seulement la troisième fois que je viens là avec Bernie… Tout en nous promenant ensemble, il m’explique, il me parle de beaucoup de choses … de ses parents, de ses arrières grands-parents et compagnie, de leurs traditions et des fragments de mémoire de son enfance.  Pourtant on est ensemble depuis déjà pas mal longtemps, mais beaucoup d’histoires qu’il me raconte pour la première fois!  Je réalise vraiment qu’il y a encore plein de choses à découvrir dans cette partie du monde. 

Easter Rising, 1916   「イースター蜂起」のときのGPO

10月16日 火曜日。午前中、街歩きに出かけました。 今回は、Temple Barの少し外側のHigh Street にあるアパートメントホテルに泊まって、どこへでも歩いて出かけました。小さなキッチンもあるし、ベッドルームが2つにダイニングを兼ねた居間もあって、なかなか居心地が良かったです(ちょっとホコリっぽかったけどね)。ホテルを出て、リフィー川のほうへ降りて、川沿いにずっと歩いて、川向こうのショッピングエリアを探検に行き、いちばんのメインストリート オコーネルストリートへ。大きな中央郵便局の建物が威風堂々とそびえています。
この’GPO’ (General Post Office 「中央郵便局」)は、まだアイルランドがイギリスの一部であった1916年の復活祭に武装蜂起したアイルランド義勇軍が司令部とした建物なのだそうです。このとき「共和国宣言」を読み上げたパトリック・ピアーズらは結局逮捕され銃殺されてしまい、このときの独立運動は無惨にも失敗に終わったけれども、その血塗られた弾圧の記憶がアイルランドが独立戦争へと進んでいくきっかけになった。

今までバーニーの先祖の地 アイルランドについては、漠然としか知りませんでしたが、こういう場所に戻ってくるといろいろ話をきいたり見聞きしたりして、だんだんと知識が増えてくるのですよね。ホラ、もうずいぶん長いこと繰り返し聞いた家族の歴史の話もあるけど、今回は初めての話も飛び出したりして、とてもおもしろかった。 ・・・そしてそんな話から、バーニーのご先祖はいつごろ、アイルランドからイギリスへ渡ったのだろうか?という話になりました(イースター蜂起と関係ありませんけど笑)。
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ご先祖の話。
バーニーちゃんの両親は、ふたりとも1913年生まれで同じ年です。(もう二人ともとっくの昔に亡くなっていますが) 「ご先祖さまはアイルランドからイギリスに来た」というのはきいていたのですが、今回は細かいことを教えてもらいました。
まず、父方は、お父さん(ジョン)の父(つまり、おじいさん、この人もジョン)がアイルランドからリヴァプールに来た。アイルランドからメリーさんを呼んで、お嫁さんにしました。リヴァプールからマンチェスタに移ってきました。
母方は、お母さん(セーラ)の父(マイケル)はアイルランド生まれで、いつ、どうやってかわからないがマンチェスタに来た。
お母さんの母(カスリーン)の家は、そのおじいさん(つまりお母さんの曾祖父)がアイルランドからリーズへやってきた。
この人たちがアイルランドからイギリスへ出稼ぎに来た頃は、まだ今のアイルランドが独立する前、つまりイギリスの植民地だった時代だった。だから、貧しい地方から仕事のみつかる所へと出てきたのですね、同じ「国」のなかでの移動だったのです。
そのころ、マンチェスタのまわりで運河や鉄道の建設が進められていて、工事現場で働く人間が必要だった。アイルランドから来た移民の多くが inland navigator(「内陸へ向かう運河を掘る人たち」)として働いたのでした。inland navigatorが転じて’navvie’「ナヴィー」ということばが生まれた。それは、最低の生活レベルに甘んじて肉体労働に従事するアイルランド移民たちを蔑すむ呼び名だったのです。
バーニーちゃんの曾祖父や祖父たちが、具体的にどんな仕事をしていたのかというのは、記録がないのでわかりませんが、労働者であったことは確かです。お母さんは姉妹ばかり7人の女系家族でしたが、みんな縫製工場で働いて、お嫁にいったのは2人だけでした。ちょうど、年頃の年齢に達する頃、大戦間にあたっていて、しかもアイルランドが独立したので、アイルランドとの人の行き来がむずかしくなって、相手をみつけにくくなった世代だったそうです。
お母さんのお父さんは第1次世界大戦に行き、怪我して帰ってきて早死にしてしまったし、バーニーのお父さんは第二次世界大戦で兵隊にとられてベルギーとパレスチナで戦ったけれど、幸い無事に帰ってきて、帰ってきたあとにお兄さんとバーニーが生まれたのです。
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・・・ざっとメモっておきますと、こんな「歴史」があるのですね。考えてみれば、日本の家族の歴史も父母の祖父、曾祖父のあたりまでは「博多から東京へ出てきた人だった」というような話をきいていますが、そのまた祖父母やそのまた祖父母・・・とさかのぼっていくと、過去に埋もれてしまっていますね。
アイルランドのご先祖さまと、日本のご先祖さまと。急に話題にされて、びっくりしておられるかしらね。興味が尽きません。

立派な郵便局の内部。L’intérieur de la Poste Centrale.

翌日 夕飯を食べに行った「アイルランドでいちばん古いパブ」でも、壁に 「イースター蜂起で処刑された16人」の顔写真ポスターが貼ってありました。
ひとりだったら、知らないから見逃していたでしょう。
Mercredi au soir, dans le pub ‘le plus ancien du pays’, on a vu un petit poster des 16 gars exécutés au moment de ‘Easter Rising’. C’est que ces choses-là sont archi présentes.. Intéressant. (Mai je me dis que si j’étais là seule, je ne l’aurais jamais remarqué.)

2 thoughts on “ダブリンの中央郵便局 GPO à Dublin, un peu d’histoire…

  1. うふふ そうそう、ビートルズは全員リヴァプール出身ですものね!! レノンとリンゴ・スターが1940年生まれ、ポール・マッカートニーが42年、ジョージ・ハリスンが43年生まれだから、少し年上だね。バーニーの兄さんが9歳上だったから同世代、ちょうど戦後すぐに生まれた人たちだね。・・・ 家族の歴史って、すごく具体的だから、教科書のなかの歴史より頭によく入るよね。
    sachanの母方のご先祖さまは、博多から東京に出てきたの。父方の祖父母は岐阜と桑名。
    そして今は・・・ヨーロッパにいる。考えたら、ずいぶん人は移動するものだね・・・!!

    あっそれからね、この郵便局の前にある柱には、1916年のときの銃弾のあとが わざと残してあるの。ところどころ欠けてるのが、けっこう生々しい。ずいぶん激しく戦った場所なんだね。

  2. ほー、興味深い話だねえ。

    バーニーぱぱのお祖父さんがリヴァプールにねえ。じゃあ、そのまま留まっていたらもしかするとお祖父さんはビートルズの一員になってたかもしれないねえ・・・・・んっ、年代が違う?

    おぢたまの父方のお祖父さんは岐阜から来た人で、お祖母さんは親が愛媛から来たんじゃなかったかな。母方は茨城とドッカだなあ。北海道だからぜーんぶ他所から来たに違いないんだけど、でも元をただせば人類のほとんど全員が、ご先祖様たちがアッチコッチ移動して現在地に至っているに違いないよね。

    それにしても西洋の記念碑的建造物はだいたいローマ式になるのかしら。すべての道はローマに通ずなのね。

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