Exceptionnellement, je mets aujourd’hui le rapport de mon amie Masami Aoki, qui revient d’une visite à la zone sinistrée du nord de notre pays. Elle y est partie vendredi soir pour acompagner la journaliste – cinéaste Kyoko Gasha, venue de New York réaliser un repportage sur les activités de support des sinistrés organisées sur place à travers la confection des Éléphants Makenai-Zô (Never Give-Up Elephants) dont j’ai déjà parlé ici. (Désolée, je ne peux pas tout traduire en français mais je mets les commentaires des photos en français pour que vous puissiez un peu partager l’ambiance de ces lieux.)
Mes chers amis francophones!! je vais essayer de rapporter ces éléphants lors de mon prochain voyage au Japon au mois d’août … Il y a des amies qui en ont exporté aux USA déjà… alors POURQUOI PAS en France, dans mon village et en Europe dans d’autres pays?? …. Si vous pouvez en adopter un chez vous dans votre cuisine ou dans votre salle de bain… ce serait très sympa. 🙂
日曜日の朝 あいかわらず肌寒い曇り空のBB村です。でも朝起きてメールをチェックしたら、東京の友だち 青木まっちゃんからの熱いレポートがいっぱい届いていました。
ブログを見てくださる方々にも、この情報をシェアしたいと思います。
青木まっちゃんのおかげで「まけないぞう」と出会った話は、こちら。
今回、ニューヨークから取材に来日された我謝京子さん(ロイターのジャーナリスト、映像作家)といっしょに 被災地NGO恊働センターの増島智子さんに案内していただき 「まけないぞう」づくりをしている避難所 釜石旧釜石一中、陸前高田の仮設住宅をまわって 東京へ帰ってきました。
22日金曜日夜〜 現地からのレポート また、東京へ帰ってから報告メールを送ってくれました。本人の承諾を得て、再録します。
※文中に出て来るmakenaizoneは、「まけないぞう」を支援しようと青木医師が立ち上げたネットワークの名称です。
速報 ありがとう! >青木まっちゃん
そして 「ヨーロッパまけないぞう嫁入り計画」がんばるぞう。
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| 青木まっちゃんの「まけないぞう」モッヒー |
AOKI Masami 7月22日夜
増島智子さん(被災地NGO恊働センタースタッフ)と合流しました。
花巻は、東京もそうでしょうが、涼しいですよ。
みなさま とうとう我謝京子監督と合流なう。アポ無しで長距離移動で、お疲れモードですが、役者が揃いましたよ~。
7月23日
朝7時に朝ご飯。遠野に入りました。遠野から、釜石に入りました。
釜石旧釜石一中で、my makenaizou 作りましたよ〜〜〜!名前はモッヒー。モヒカン君になっちゃったので。
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| この日も震度5強の地震が。Le ciel bleu à Rikuzen-Takada Ce jour il y a eu une très forte secousse encore. |
午後は陸前高田の仮設住宅へ。
途中で震度5強の地震があったらしいですが、移動中でぜんぜん分かりませんでした。でも、朝、こんな雲が出てましたのよ!
詳細なレポートはまた明日いたしま〜す。
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以下は、青木医師から帰京後 7月24日 メールリストへ発信されたレポートです。
遠野にて 1
増島智子さん
言わずと知れた、被災地NGO恊働センターのスタッフですが、この人が素晴らしい女性で、現地の皆さんからものすごく信頼されています。
この信頼感には、本当に圧倒されました。こまめに訪問先の被災者の方々に携帯で連絡をとって「道が混んでいるので、ちょっと遅れます。さっきの地震大丈夫だった?」と、まるで家族のような関係。
増島さんは来春まで、遠野に居る予定だそうです。
大きなバンを運転して、沿岸部と遠野を飛び回っている日々ですが、雪が降ったらあのバンでは危ないなぁ、と、今から雪の季節を心配している青木です。
makeanizoneのみなさん、ぞうが生まれる現場で、自分も避難所でぞうを作ってみて、これを東京で少しでも売って、ほんの僅かでも被災者の方々の「安心の素」になってもらえるように、頑張らなくちゃ、と。
ねぇ、makenaizoneのみなさま、こんなことで被災地の、あの方々のお役に立てれば、あの増島さんの肩の荷が少しでも軽くなれば、青木は喜んでぞうの行商をしますよ。
遠野に行って、本当に良かったです。増島さんや被災地のみなさんに会えて、本当にやるべき道が見えました。
できることから、やりましょう!
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| 陸前高田の何もなくなってしまった市街地 Rikuzen-Takada, la ville entièrement dévastée… |
※被災地NGO恊働センター 代表の村井さん曰く 増島さんは、1995年の阪神淡路大震災の時「OL1年生」だったそうです。
それが16年半、被災者はもちろん常に貧しい人や「社会的弱者」に目を向け続けて来ました。今では、反原発の活動もしており、神戸にいる人たちにとってはよきリーダーであり、よきお姉さんという役割を担っておられるとのことです。
増島さんたちの「東日本大震災 救援レポート」はこちらをご覧ください。
遠野にて 2
青木は阪神淡路大震災の時は、当時勤めていた実家の医院を休んで、ある程度(自己満足なんですけれども)自分で出来る限りボランティアができたと思います。
それでも、毎回、伊丹空港から帰ってくる時に、「自分はこれから何不自由無い東京に帰るのだ。被災地を捨てて。なんて自分は卑怯なのか」という思いに駆られました。それも毎回毎回です。
その後、5年ほど前から関西学院大学の研究室に行くようになって、中越、能登半島中越沖、宮城岩手内陸地震と、大きな地震が次々起こりました。
で、その度に現地に赴くて、案内してもらって帰ってくると、自分は何をやっているんだろう。なんて自分は無力なんだろう、と思ってきたのです。
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| 東京でも世界でもがんがん売りましょう 東北発のまけないぞう Ces éléphants Makenai-Zo confectionnés par les personnes sinistrés vont partir partout. |
でも昨日、遠野に行って、若い学生達や遠野の主婦の方々とかのボランティアの働いている現場をかいま見て、思いを新たにしました。
makenaizoneは、間違っていない! 我々には大きな使命がある。
被災地の人々の生活を、少しでも改善するために、東京に居たってできることがある!
遠野にて 3
遠野から釜石と陸前高田の2つの被災された方のところに行きました。
釜石では古びた避難所で、元教師の70代の男性が、まけないぞうを作っていました。
でもね、「いろいろな方々にお礼にぞうをあげている。自分のぞうはまだまだ売れるようなものじゃない」とおっしゃっていました。
確かに。検定が通るかな?というものもあったのですが、我謝さんのカメラが回る中、増島さんとかよこさんという遠野の主婦ボラと青木の4人でぞうを作りました。
30分ぐらいだったでしょうか。
すごく真剣に、けれど和やかに、そして一心不乱に集中して、ぞうの耳から針を入れて顔を整えて目を付けてリボンが付いた時の喜び。
その男性も、青木が「東京ではぞうが足りません。沢山作ってください」と申しあげると、無言で頷いてくれました。
「100円からもっと値段を上げてもいいんじゃない? 東京では500円で売れると思うなぁ。被災者に200円、被災地NGO恊働センターに300円じゃダメかなぁ、、」
でも一日、増島さんと一緒に歩いて、500円にしたら、被災者に150円、恊働センターに350円にしなければ、と思うようになっていました。
お昼ご飯も車上で増島さんが運転しながらでした。陸前高田に移動して新しい仮設へ。
夫ともに津波にのまれて自分だけ助かった主婦や、おばあさんが流されてまだまだ立ちあがれない30代の女性たちに、優しくなにげなく話しかける増島さんと小雨の中を歩きながら・・・。
その仮設住宅には、土曜の午後にはあまり若い人の姿は見えず、お年寄りの姿が目立ちました。
ある70代の女性の部屋には、まけないぞうがいっぱい。大きなバスタオルのぞうが2頭。
「それ欲しい!」と何度も口説いたのですが、とうとう譲ってもらえませんでしたが。
青木はここで、東京から来た「象売りの業者」になりきりました。
「東京ではぞうが足りないです。みなさん、ガンガン作ってください」と連呼しました。
最後にはもう、自分は東京から来た、「まけないぞうブレーカー」みたいな気分で、「東京で売って売って売りまくるから、どんどん作ってください。待ってま〜す」みたいな(爆笑)
遠野にて 4
まだまだ、被災者の心に平穏が戻る日は、全く見えません。
町ごと流されて、人生がガラリと変わった人々に、私たちは何もなす術がありません。
「心のケア」などと、人々は簡単に言いますが、そんな言葉、軽々と言うことなんか、できません。
今青木は、311と全く変わらない家の中で全く変わらずパソコンに向かっている。
何の苦労も何もしていない。
青木は、自分の患者さんの痛みの心のケアだって、医者26年もやっていても、なかなか治せない。寄り添って寄り添って行くしかない。
この大層難しいことを、増島智子という若い女性は、淡々となにげなくやっている。
東京でまけないぞうを売ることは、被災者の支援です。
でも、青木は、増島さんのような、あるいは増島さんをしっかりと支えている恊働センターのような存在がなければ、何もできやしない、ということが心底分かった気がします。
まけないぞうを売りましょう。売って売って売りまくりましょう。
そして、まず被災地NGO恊働センターを支援しましょう。恊働センターには増島さん以外のスタッフも沢山いらっしゃいます。この後援組織がしっかりすることで、最前線の増島さんが安心して被災者の支援をすることができます。
こういうNGOの存在がなければ、被災者は311の被災から立ち直るなんて、絶対にできません。
青木は今回、花巻から盛岡に戻って、はやぶさに乗って帰ってきました。
今回は、16年ぶりに、被災地に行っても後ろ暗くなかったです。こんなの初めてです。
東京では東京でしかできない支援があります。今はそれをしっかりやりましょう。
遠野にて 5
青木はこれからも、増島さんを訪ねて時々、遠野に行こうと思っています。
それから近々に、一度、増島さんを東京に来て頂いて、話を聴きませんか?
今回は、津波被害だけではなく放射線の被害もある。私たちの国は、本当に傷んでしまった。
でも、私たちmakenaizoneは、これからやることが、ガンガン増えますよ。
ぞうを売って、しっかりとこの国に、災害ボランティアの足場を支えるための新しいボランティアの形を提言していきましょう。
明日は、我謝さんが10時にクリニックに見えます。
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Chouette!! En voici donc des projets de visites réciproques… qui finiront certainement par se réaliser!
Et puis OUI j'ai vraiment vraiment envie de venir visiter ta belle maison. Bonne continuation dans ta peinture, tes travaux et plein de bisous à tous!xxx
oh oui !!! Ce serait tellement chouette de te voir ici !! Et on s'en occupera bien de nos petits Zou san !!
De notre côté on espère bien pouvoir venir vous faire un petit coucou un jour : j'ai toujours rêvé d'aller en Autriche… Sans doute pas cette année malheureusement mais on y pense !
Bientot des news et des photos de l'atelier : j'ai attaqué la peinture 'hui : je touche au but.
bisous et bon séjour à Tokyo !
Merci isa!!
Je vais au Japon mi août pour 2 semaines et au retour je vais en ramener quelques uns pour que ces petits Zô-san-s aillent s'installer un peu partout.
Ils sont vraiment mimis et seront très heureux dans votre belle maison, adoptés dans ta famille…
Peut-être que je ferai une expédition pour les livrer moi même….xxx
nous on veut bien en adopter quelques uns des petits Zou-san.
Dis-moi comment on peut faire ?
bisous
isa.
きゃーkikiちゃんだ〜♡♡ うれしいです あわただしく忙しいなかコメントありがとうさん!!
・・・そうなのね、95年にkikiちゃんのお母さんが作ってた「まけないぞう」さんだったのですね。ほんとにあっちこっちでつながってる「ぞうさん」のご縁。ビックリ そして納得です。
kikiちゃんも 出発までもうちょっとのしんぼう 「まけないぞう〜」スピリットでがんばってね!!
さっちゃん
お久しぶりで〜す。ごめんね、ごぶさたばっかりで。
「まけない象」、まさしくその阪神大震災の時に母もたくさん作っていました。ウチにもいます!淡いミントグリーンの「まけないぞう」。。。
なんか、あの時(95年当時)あっと言う間にひろがった「まけないぞう」。。。そう言えばウチもみるみるうちに「ぞうさん」だらけになっていた記憶が。。。!
私はあと5日ほどしたら飛行機に乗ってるはずなのですが、全然そんな気がしません。。。ていうか、それが可能だなんて思えないくらい。。。頑張ります!
山積みのお仕事なんかに「まけないぞう〜!」